楽あれば苦あり
辺野古 11/14
海上保安庁は一体何を守っているんだろう?
オイルフェンスを連結して伸ばしていく作業に、フェンスを連結する先端部にカヌーをくくりつけて抵抗しているが、毎回そのロープを海上保安官が苦労してほどいている。
基地建設工事のためのお膳立てをするそんな作業は海上保安官のやる仕事なのか?
国が私人の立場で行政不服審査法を使って沖縄県の埋め立て承認撤回を執行停止させたのなら、それに抗う市民と国は私人と私人となる。
海上保安庁が中立の立場というのならば、どちらかに肩入れするようなことはあってはならない。
市民を力づくで排除し、作業のお膳立てをし、カヌーを漕ぐよりも遅いスピードでゆっくりゆっくり浜まで送って抗議の時間を奪う、これのどこが中立だというのだろう。
(拘束したカヌーメンバーを乗せたGBの2つのエンジン回転数を示すメーターは6と7。超低速 歩くようなスピードだ)
海保のゴムボートと作業船は抵抗する市民を排除する前に、悪びれることもなくすぐそばで船を寄せ合って打ち合わせまでしている。
毎回時間をかけてロープをほどくのに懲りたのだろう、今朝はカヌーメンバーが現場に着く前に、オイルフェンスの先端部をGBで挟み込んでロープを巻かせない方法をとってきた。
船外機に巻き込まれる恐れがあるのでカヌーは近寄るなと彼らは言う。
しかし、本当に安全を第一に考えるならGBのエンジンを切ればいい。
すぐにGBを移動させないなら、直ちにエンジンを切るように繰り返して要求するが、全く聞く耳を持たない。
彼らはわざわざ危険な状況を自ら作り出し、安全のためだと言って市民をそこから排除するのだ。
膠着状態が続いていたが、オイルフェンスを曳航して作業船が近づいてきたので、海保はカヌーメンバーの排除を始めた。
つまりは、安全のための警備ではなく、作業をつつがなく進めるためだけの警備なのだ。
GBに乗せられ、たっぷり時間をかけて松田ぬ浜へ戻されている間に2本目のオイルフェンスが設置され、先端部はK3護岸とK4護岸の角の所まで達した。
すぐに立て直して先端部へ戻り、カヌーとオイルフェンスをロープでつないだ。
昼食もその場でとり、そのまま先端部を夕方まで守りきった。
今日の作業が無いと判断し帰る時には、「誰がこんなにぐるぐる巻きにしたんだ!」などと冗談を言って笑いながら、40分ほどかかって自分たちで作った難題をといた。
夕方のニュースは、大浦湾の汚濁防止膜の設置が始まったと伝えていた。
しかし、大浦湾の汚濁防止膜は無用の長物なのだ。
軟弱地盤と活断層問題をクリアできていない現在は、大浦湾で採石や土砂を投入するような作業は行えない。
大きなクレーン台船を使って無用な汚濁防止膜を設置するのにどれだけ税金が使われるのだろう。
無用であろうと、理由を作って出来るだけ多くの税金を吸い上げるのがこの公共事業の本質的な目的だ。
今日大事だったのはオイルフェンスの囲いを終わらせない事だった。
だから、今日は勝ったのだ。
Hold on
辺野古 11/6 ,11/10
しがみつく
今 奪われようとしているもの
壊されようとしているもの
かけがえのないものが
まだ手に触れられる場所にあるのなら
僕らはそれを守るため
身を挺してしがみつく
僕らが握っているのはただのロープじゃない
彼らは中立を装い
僕らの指を一本一本引き剥がす
目の前でかけがえのないものが奪われる時に
中立なんて立場が一体あるだろうか?
答えは二択「止める」か「止めない」かがあるのみだ
「中立」だろうが「容認」だろうが
止めなければ同じこと
すぐにそれらは手が届かなくなる
心の自由も
人としての尊厳も
先人たちの思いも
平穏な未来も
全ての命を育む自然も
僕は手放したくはない
2つのレンズ
辺野古 11/1,11/2
また政府による辺野古新基地建設強行が再開された。
臆面もなく法を捻じ曲げ、沖縄に寄り添うと言いながら踏みつけるやり方で。
これはかけがえのない自然を壊し、沖縄に過重な基地負担を押しつける、正義の無い工事だ。
また、翁長知事が下した埋め立て承認撤回の理由で指摘されたように、大浦湾側には基地建設に適さない軟弱地盤や活断層とみられるものが見つかっており、その問題がクリア出来なければやがて行き詰まる、展望の無い工事だ。
もし実用性がある強固な基地を本気で作ろうとするのなら、現在の計画は一旦白紙に戻して、根本的に見直すべきだが、「普天間の危険性除去は辺野古移設が唯一の解決策」だと政府は思考停止している。基地推進の立場から見たとしても理の無い工事だ。
そして、この基地にできる滑走路は短すぎて役に立たないと米政府が指摘している。
また、この基地が出来ることで抑止力が高まったりしないばかりでなく、2本の滑走路と辺野古弾薬庫と軍港を備えた最新鋭の基地が真っ先に叩くべき攻撃目標となることは素人が考えても分かることで、沖縄がアメリカの始めた戦争に巻き込まれるリスクは一層高まっていくことになる。
つまり、国防という面から考えてもメリットの無い工事だ。
我々が納めた税金を使ってそんな基地をアメリカ様のために急いで作る必要も無ければ、そもそも奪われた土地に勝手に作られた基地を返還させるために代わりの基地を作って差し出す理由も無い。
基地建設に反対する我々はもちろんとして、恐らくは現場にいる作業員も海上保安庁も警備員も米兵も防衛局職員も、誰一人としてここに急いで基地を作られねばならない理由が分からないに違いない。
理由が分からない事のために、我々は様々な立場の違いによって分断され、対峙させられている。
これはどの立場の人にとっても、不幸以外の何物でもない。
我々は立場の違いによって隔てられたラインを乗り越えて、人と人しての関係を築き、互いの立場を理解し合わねばならない。
そしてこの分断をしかけ、我々を対立させている者たちこそ怒りの矛先を向ける相手であるということを見いださねばならない。
さて、これは辺野古の問題ではなく、
沖縄の問題ではなく、
この島国日本の問題でさえない。
文明が発展したと思われている現代の世界においても今もなお続いている、有史以来世界の至る所で形や規模を変えながら絶え間なく人々を苦しめてきた問題のひとつなのだ。
我々は時空を超えて世界中の人々とつながり、先人の知恵を借り、共に連帯しあいながら長きにわたる人類の課題を克服せねばならない。
何が起こっているのか、目の前のフロートを見ているだけでは分からない。
刻々と変わりゆく状況を見つめる目と、世界を俯瞰で見下ろす大きな眼差し、この2つのレンズを駆使せねばならない。
今を生きる全ての人が当事者だ。
我々が意思を持って行動をする時には、世界のどこであろうと、そこが現場となる。
行動をおこすべき時だ。
方法は僕なりあなたなりのやり方で。
よんなーよんなー
「何かを受け取り 何かを手渡す」
これが我々がやってる唯一の事で
我々の存在の全ての意味だ
絶え間のないインプットとアウトプット
あなたも僕もあらゆるものが中を通り抜けていく一本の管だ
受け取ったものから何をアウトプットするか
そこに個性が生まれてくる
近頃はアウトプットの欲求が高まっている。
休みだった今日は映画を観にでかけたり、ゆっくり本を読んだりしようかと思ったりもしたが、久しぶりにコンピレーションアルバムを編んでみることにした。
テーマを決めて、曲を選んで、曲順を考え、余裕があったらジャケットも作ってみる。
見慣れた曲もテーマに沿った流れの中で聴くと、また少し違った趣きを感じたりする。
今回のテーマは「よんなーよんなー」。
リラックスした時間に馴染むスローテンポな16曲を集めた。
こんな曲も入れてみた。
Stereophonics - Handbags And Gladrags
曲順をあれこれ入れ替えてみたりしながら、ジャケットのデザインを考える。
そのうち完成したら、欲しい人には差し上げます。