反骨のカメラマン福島菊次郎は言った。
「問題自体が法を犯したものであれば、カメラマンは法を犯しても構わない」
違法なものを暴くためには、法を犯してでも撮らなければならない時がある、というその意味が、実感として今よく理解出来る。何故なら権力者は法を乱用してまで、自らの違法な行いを隠蔽するからだ。
防衛局職員が繰り返し言うのは「提供区域」という言葉だ。一体誰が何を誰に提供したというのだろう?
「提供」というからには、それを自分たちの意思で止めることも出来るはずだ。しかしアメリカに対しては要求されるがままで、提供を打ち切ったというような話は聞いたことが無い。実態は「提供」などではなく、「強奪」されているのだ。そして、今また要求されるがままに、世界遺産級の森の命が「提供」されようとしている。
彼らは一体どこまでを提供するつもりなのだろうか?
目の前でヤンバルの木が切り倒される時に、一緒に何が奪われているのか気がついていないのだろう。
ヤンバルの命と一緒に奪われたのは、あの場に居た抗議者、防衛局職員、機動隊、作業員や、その友人・家族を含む、全ての人々の幸福追求権、平和的生存権、表現の自由、といった人権など、かけがえのないものだ。それらが削り取られるように徐々に奪われている。これは次世代に手渡す未来を壊す行為に他ならない。
どんな手を使ってでも工事を推し進めようとする彼らの姿はあまりに自虐的で、哀れにすら見える時がある。
あの7/22以来、高江は戦争の渦の中に半ば飲み込まれつつあると、訪れる度に感じる。
最早、高江は平時ではない。アベ政権が憲法に盛り込もうと狙っている「緊急事態条項」を先取りしたかのような、国による強権体制が村民の日々の暮らしの目の前で繰り広げられている。
日常化しつつある度々の県道の封鎖、自衛隊ヘリによる工事用重機の搬送、全くデタラメな抗議者の不当逮捕など、例を挙げればきりがないほどのやりたい放題だ。
防衛局職員や機動隊員の中には「お国のために身を捧げる」という戦時のマインドが根づいているのを感じる。彼らが私たち抗議者に時折見せる憎悪の眼差しは、戦時に反戦を唱える者に向けられる、「非国民」への侮蔑の念が含まれている。
アベ政権はメディアを使って「お国のために」という、このムードを少しずつ少しずつばら撒いて、意識の中に刷り込もうとしている。
今ここを止められなければ、アベ政権は万能感を膨らませ、戦争へとまっしぐらだ。戦争が始まった時にはもう遅い。「国家総動員」のムードが一気に広がり、自由にものを言うことさえも出来なくなる。
全国、全世界に呼びかける。
自由と平和を愛する人々に呼びかける。
今すぐ高江に来て欲しい。
未来を破壊する者たちを、非暴力で止めるために。
本気でこのために行動する人が多く集まれば、止めることは出来る。
自然の摂理の前では人は無力だが、人が始めた蛮行は、人の力で止めることが出来る。
僕はまだ平和な明るい未来を諦めてはいない。
あなたもきっとそうでしょう。
(防衛局の後ろに警備員。その後ろで機動隊が控えている。この状態で前後から挟まれ前にも後ろにも進めない状況に置かれた)
(切り開かれた道)
(そして、搬入するために莫大な警備費をかけた世界一高い砂利を敷くと作業用道路になる)
(木が伐採される下の谷に座り込む抗議者を取り囲む防衛局職員と機動隊)
(切り倒された樹木で谷は埋め尽くされた)
(こんな太い樹木まで躊躇なく切られている)
(切り倒された樹木)
(谷から引き上げられた場所は、広大な広場のよう。ここがまさにヘリパッドとなるために森が殺された場所)
(ヘリパッド予定地にオスプレイが飛来。最悪の未来を予見させる光景)
(機動隊の列に守られて、砂利を仮置きした山からこちらを撮影する防衛局職員)