夢をあきらめずに

You may say I’m a dreamer. But I'm not the only one.

ピカソと岡本太郎

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ピカソの絵「ゲルニカ」をめぐる小説 『暗幕のゲルニカ』(原田マハ著)を昨日読み終え、今日はネットで映画『太陽の塔』(関根光才 監督)を観た。

良い本と映画との出会いに感謝。

意識してこの2作品を選んだわけではないが、僕の中ではなんだかそういう流れに今なっているようだ。

アートの持つ強い力と、アーティストの社会における役割について考えている。

 

ゲルニカはスペインにあるのでなかなか見に行けないが、今度関西に戻ったら太陽の塔はまた観に行きたい。

 

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映画『太陽の塔』↓で観れます。

ものすごく興味深い映画でしたよ!

asiandocs.co.jp

 

ナオミ・クライン著『これがすべてを変える 資本主義vs.気候変動』

ナオミ・クライン著『これがすべてを変える 資本主義vs.気候変動』

 

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2014年に書かれた、上下巻合わせて600ページを超えるボリュームの書。

3月末に図書館で借りて読み始め、ようやく読み終えた。

新型ウイルス感染拡大を防止するため、図書館が長期閉館となり、借りっぱなしでよかったのに加えて、自宅で過ごす時間がたっぷりあったこともラッキーだった。気になる箇所はノートに写したり、ネットで検索して理解を深めたりしながらじっくりと読み進むことができた。

 

化石燃料を燃やすことで排出される温室効果ガスによる気候変動と、石炭や石油、シェールガスといった地下資源の採掘、精製、輸送に伴う凄まじい環境破壊、それらに抗う世界中の人々とその運動を潰すために働く強大な力などについて、ナオミ・クラインは様々な切り口で重ねた取材を基に、冷徹な思慮と深い情熱をもって描いた。

産業革命以来、人類の化石燃料依存が溜め込んだ環境への負債は、既に異常気象というかたちで様々な兆候を見せている。蓄積による悪影響の連鎖が急激に起こり不可逆的な破滅に陥るティッピングポイントまでの残された時間はわずか10年足らずだと言われる危機的な状況であるにもかかわらず、温室効果ガス削減に世界規模の有効な歯止めがかからないのは、世界に蔓延している経済優先主義、自然環境からの乖離と自然軽視、搾取と犠牲によって成り立つ社会構造といった、現代の人類の生き方そのものの破綻によるものだと指摘している。

つまりは、今まで通りの生活を続けて破滅へ至るのか、それを回避するための新しい価値観に基づくライフスタイルへと切り替えるのか、わたしたち一人ひとりが選択を迫られているのだ。

 

新型ウイルスのパンデミックによって、はからずも経済活動の抑制が世界的規模で余儀なくされ、温室効果ガスの排出が一時的に減少することで今までに無かった環境改善の兆しがほんの少し見え始めている。

世界中を飛び回り、終わりのない経済成長を追い求め、飽くなき欲望によって地球を消費し尽くす社会のあり方から、少し離れて客観視する時間を多くの人が手にする機会ともなった。

この疫病蔓延は大きな災厄ではあるが、目の前に迫る破滅に向き合おうとしない人類に与えられた最後のチャンスでもある。

 

巻末に書かれた言葉を読んだ時に、この時期にこの本を手にしたことは、決して偶然ではないという気がした。

 

「こう考えてみると、次に危機が起きたとき、再び街頭や広場を人々が埋めつくし、みながそれを驚きの目で見ることになるのは間違いない。真の問題は、進歩派がそうした瞬間から何を生み出せるか、その機会をどれだけの力と確信をもって捉えることができるかということだ。というのも、突如として不可能が可能に変わるこうした瞬間は、耐えがたいほど稀にしかない、貴重なものだからだ。だからそこから多くを生み出さなければならない。次にそういう瞬間がやってきたとき、ただ世界の現状を非難し、束の間の限られた解放空間を築くだけに費やすわけにはいかない。すべての人間が安全に生きられる世界を現実につくり出すための触媒としなくてはならない。それ以下で事足れりとするには、事はあまりにも重大であり、時間はあまりにも少ない。」

 

人類はこの地球という生命体を脅かすウイルスなのか、それとも自らを律し、あらゆる生命を有する自然の摂理のなかで謙虚に共生の道を歩む大自然の一部なのか、わたしたちが何者なのかが間もなく暴かれる。

結末はわたしたち次第だ。

 

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コンピ CD『StayHome やーぐまい』

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やーぐまいの時間を使って、久しぶりにコンピレーションCDをつくってみた。

タイトルは『StayHome やーぐまい』。

まだもう少しは続きそうな、家の中で過ごす時間の気分転換に、聴いてもらえたら嬉しい。

 

ジャケットの裏には100年ほど前のスペインかぜのパンデミックで、若くして命を失ったエゴン・シーレの自画像に、マスクを描きたして使いました。

 

 

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(これが原画です)

 

パンデミック と やーぐまい

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コロナウイルスパンデミック

世界中の人々がやーぐまい(家ごもり)して

がむしゃらに突き進んできた経済活動をほとんどストップさせたら

濁っていた川の水が澄んできた

排気ガスで汚れていた大気も浄化され

インドから30年ぶりにヒマラヤ山脈が見えたそうだ

 

人類が終わることのない経済成長に目を奪われ

世界中で化石燃料を競い合うように燃やすことで

排出した温室効果ガスが招いた気候危機は

あと10年足らずで

引き返すことのできない破滅の奈落へと落ちる寸前で

一時停止ボタンが押された

 

この疫病は人類にとって

とてつもなく大きな試練だが

世界中を飛び回り

ライバルを蹴散らし

弱者を踏みつけ

大自然をむさぼりつくす

非情な金儲けと

もっと便利でもっと快適に

人間の都合にあわせて

際限なく世界をつくり変えていく

傲慢な欲望に

すっかり取り憑かれた人類へ

立ち止まるチャンスを与えた

 

産業革命という発症以来

人類は地球という生命体を蝕む

ウイルスそのものだった

科学技術の力でねじ伏せ

思い通りに自然をコントロールできるつもりになっていた

しかし人がコロナで死ぬように

ウイルスが宿主を食い尽くす時には

宿主と共にウイルスも滅びる

人類がこの大地で生き続けるには

大自然の摂理のなかで

あらゆる生命と共生していくしか術はない

 

人類は競い合う経済活動を止めて

新しい価値観を見出さねばならない

人と人が争わず

誰も蔑まず

謙虚に

自然に寄り添う生き方を見つけねばならない

そのための準備時間が

このやーぐまいだ

 

www.youtube.com

アベノマスクと波打つ滑走路

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皆さんの自宅にはもう届いただろうか?

アベ政権が全世帯に2枚配布するという布マスク。

閣僚たちが不織布マスクをつけるなか、一人だけ頑なにこのアベノマスクと揶揄される昭和の給食当番を思い出す布マスクの着用を続ける首相の姿を見るたびに、「何の罰ゲームやねん!」という突っ込みが腹の底から湧き上がってくる。

一人暮らしでも大家族でも2枚というアベノマスクの配り方にはどう見ても合理性が無いし、小さ過ぎる上に布マスクは感染予防には効果が薄いと世界からの失笑を買っている。

コメディーの中の話なら笑っていられるとしても、現実にはこのマスク配布に国が466億円の税金をかけるという話を聞いて怒りを覚えない納税者は少ないだろう。

パンデミックのなか人々が探し求めている一般的な不織布の使い捨てマスクは、今となってはどこのドラッグストアでも品切れ状態が続き手に入らないが、不織布マスクの生産ラインは10億円程で新規に立ち上げることができるそうだから、一般市民にとっては目に余る税金の無駄な使い方だ。

しかし、私たち一般の生活者にとって全くメリットの無い税の使い方は、何も今に始まったことではない。

僕は沖縄に移り住んできたこの4年間に、辺野古新基地建設の現場で同じように、何かしらの機会(口実)を見つけては行われる無意味な施策に、税金が惜しげもなく注ぎ込まれる例を数多く見てきた。政官財がグルになった利権構造を背景としたこれらの施策は、ほんの一握りの者たちに富をもたらすことにその真の目的が有り、実際に行われる内容はアベノマスク配布のように役立たずだったり、場当たり的だったり、或いは、実際の現場状況から見れば過剰な税の投入だったりして、費用対効果は全く考慮されていない。

 

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例えば、抗議のカヌーや船の侵入を防ぐという名目で辺野古・大浦湾を大きく囲い込んだフロートやオイルフェンスは、機会あるごとに(口実を見つけては)、大きくしたり支柱を取り付けてロープを張り巡らせたりして更新されてきたが、それによって大きな効果は得られなかった。そもそも波風で流される浮き具のラインで境界線を海上に明示して区切ることなんて不可能だ。それどころか、波や潮の影響でロープが切れたり破損したりすることでそのメンテナンスが必要になったし、台風が来る度に浮き具の流出を防ぐために撤去作業をしなければならなかった。もちろんこれらの余計な経費も全て税金で賄われている。

 

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土砂投入時に水中に巻き上げる汚濁の拡散を防止するために大浦和に設置された汚濁防止膜は、水深10m~50mの海域に海面からたった7mのカーテン状の膜をぶら下げるというもので、カーテンの下の汚濁拡散には全く役に立たない代物だった。その設置場所もまばらで全体を囲う構造にはなっていない、まさに無用の長物。こういった批判と抗議を無視しながら数ヶ月をかけて汚濁防止膜設置は強行されたが、軟弱地盤の発覚により大浦湾での埋め立て作業は頓挫したので、汚濁自体が発生することが無く、汚濁防止膜は一切役に立っていない。

 

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陸上のゲートや海上には過剰な人員を使っての警備が昼夜を問わず行われている。これらを請け負う民間企業は官僚の天下り先だ。一日に使われる警備費用は2,000万円近くになるが、現場の警備員には残業代未払いやパワハラ被害といった労働問題が起きているばかりでなく、警備法で認められる範疇を逸脱する行為や、軽油海上投棄、肖像権の侵害にあたる撮影で得た顔写真を使っての抗議市民のリスト作成といった違法な行為も行われている。

それに加えて陸では機動隊、海では海上保安官が日々大量に配備されている。

 

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ここまで読んでこられた皆さんは、辺野古新基地建設現場のいたるところでアベノマスク配布と同様の税金の無駄遣いが、何年にもわたって行われてきたことを、ご理解いただけたでしょうか。

しかし、その本質はもっと根深い。世界一危険な基地と言われる普天間飛行場の危険性除去のために、その基地機能を移設すると言われる辺野古新基地だが、大浦湾に海面下90mという軟弱地盤が見つかり、前例の無い困難な地盤改良の必要が出てきたことにより、国は設計概要の変更を避けられない。

この設計概要変更申請を、COVID-19の世界的なパンデミックで出口の見えない混乱と自粛の真っただ中であるまさに緊急事態の今日、国は行ったらしい。想像を絶する非道な行為だ。

変更内容の詳細はまだ目にしていないが、事前に伝わっている計画案によると工期は12年へと延長され、総工費は3,500億円から9,300億円に大幅増額される。一刻も早い普天間飛行場の危険性除去、返還が求められるなか、12年以上も解決を先延ばしするだけでなく、9,300億円という工費はあくまで国の予算であり、沖縄県による試算では総工費は2兆6,500億円まで膨れ上がるとみられている。

さらに、軟弱地盤を埋め立てて完成した滑走路は、不揃いに地盤が沈下する不同沈下によって波打ち、補修しながらでないと使えない可能性を国も認めている。

つまり新しく作られようとしているこの基地は工期、工費、実用性のどの面から見ても、普天間基地の代替施設としては使い物にならない代物だ。

そんなことは、アベ政権も、防衛省官僚も、ゼネコンや警備の業者も十二分に分かっている。どんな基地が出来上がろうが、若しくは基地建設計画自体が行き詰まって頓挫しようが、彼らはいっこうに構わない。

いまやこの基地そのものが、アベノマスク同様に税金吸い上げ装置であって、儲けられるうちに最大限に儲けることだけが彼らの関心事なのだ。

 

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布マスクと滑走路が沈む基地は税金吸い上げ装置として見れば構造的にはそっくり同じなのだ。税金を意味のないものに惜しげもなく注ぎ込み、一握りの者たちに利益をもたらすこういった利権の構造は、欠陥機オスプレイの導入、原発の維持、石木のダムの強行、オリンピックへの固執モリカケ問題、サクラを見る会など数え上げたらきりがない。合理性を排除し、嘘とごまかしで塗り固め、都合の悪いことは隠蔽し、一部の人を金と権力で懐柔して人々を分断し、結果責任は一切取らないというやり方が共通の手口だ。

もちろん、共通点ばかりではなく、それぞれの問題には様々な固有の問題が含まれている。辺野古の問題には沖縄差別や日米関係の問題が含まれるし、原発にはエネルギー問題、疑獄事件には公文書の偽造といった要素も見過ごせない。

しかし、これらはどれも私たちの暮らすひとつの国という社会で起こっている問題だ。ひとつひとつの問題と私たちが個人として関わり受ける影響の重みはそれぞれ違うが、どの問題をとってみても同じパッケージに包まれていることを見逃してはならない。

アベノマスクに対して覚えた怒りは、同様に辺野古新基地にも向けられるべきだ。何故ならたとえ布マスク配布ひとつを止められたとしても、社会というパッケージが変わらない限り、また同じようなことは繰り返し身に降りかかってくるのだから。