疚しさを感じながら 切実に
辺野古 7/19
6月末の時点で辺野古崎付近の埋立て区域は、あと数日で外海と切り離されるところまで作業が進んでいた。
護岸が閉じられる目前になって、立て続けに台風が沖縄本島へ近づき、作業の足踏み状態が続いていた。
台風によって護岸を囲ったオイルフェンスは流され、被覆ブロックの列はガタガタに乱された。
それはまるで大自然の怒りように感じられた。
しかし、その護岸の囲いがとうとう今日の午後に閉じられてしまった。
ドーム球場1.3個分の面積に相当する閉じられた護岸の内側は、最早海ではなくなり、水温や水質が激変して、そこに取り残された生物がじわじわと殺されていくことを思えば、来週明けにも翁長県知事が埋立て承認撤回に踏み切る見込みとの今朝の新聞報道も虚しく感じられる。
埋立て区域に生息していたたくさんの命にとっては、アウシュヴィッツのガス室のドアが閉じられたのに等しいのだから。
今日一体何が起こったのか。
目の前の護岸や埋立て工事だけを見ていては、その本質は見えてこない。
たとえばこの国にあとどれだけ自然のままの海岸が残されているのか。
たとえば道路や空港や都市といった、僕らの暮らす社会はどれだけ自然界にダメージを与えているのか。
今日お金と引き換えに僕らが手に入れた様々なものは、環境破壊や命の尊厳を踏みにじることにつながっていないか。
今日僕らはお金を得ることと引き換えに、お金では買うことのできない尊いものを失わなかったか。
この海を埋めようとしてるのは一体誰なのか。
埋立てを止められるのは誰なのか。
止められるのに止めなかったのは誰なのか。
それは僕であり、あなたではないのか。
護岸がつながって、閉じ込められた命が殺されたことに、完全無欠な身の潔白を有する立場から批判することの出来る人間が、この世にいったいいるのだろうか。
そういった大きな視座からも同時に、今日起こったことを僕らは見つめなければならない。
僕らは日々、大自然と命の尊厳を食い物にしながら、それを止める術も見いだせず無為に生きている。
誰もがその疚(やま)しさを感じながら、だからこそ切実に日々の暮らしや、自分の生き方や、社会の仕組みや、この世の流れを、変えたいと願わなければ、僕らが止めようとしているものの本質は止められない。
波が高く、カヌーでの行動は短時間に限られた。
その後は抗議船に乗り込み、閉じられていく護岸を見つめるしかなかった。
こうなる前に止めなくちゃいけなかった。
これからも、どんどん具体的に工事は進んでいく。
さらに悪いニュースは続くだろう。
そして、軍事基地は必ず戦へつながる。
人がたくさん殺され、街や平穏な暮らしや未来が壊される日々はそう遠くないかもしれない。
これからも事あるごとに何度も僕は思うに違いない。
「こうなる前に止めなくちゃいけなかった」と。
そう思うことをひとつでも減らすには、僕らは知らなければいけない。
まさに今日こそが、いつの日にか思う「こうなる前」なのだということを。
悪い流れを断ち切るために、今自分に何ができるかを日々模索し、行動へとつなげていくしかない。
『非戦・対話・NGO 国境を越え、世代を受け継ぐ 私たちの歩み』より抜粋 その5
第5話 宇井志緒利『何かが起きてからではなく』より
私は、ジャストピース(Justpeace)という言葉を、フィリピン・ミンダナオ島で平和づくりに取り組む人たちから教えられた。これは、平和(Peace)と公正(Justice)は切り離せないもの、「公正を伴わない平和は平和ではない」という意味をこめた造語である。つまり、「他者を犠牲にして自分のニーズを満たさない」ということ。これは足元のことからグローバルレベルまで、私が「平和」を考える時の金言である。この言葉は常に、私に「他者」への意識を喚起させてくれる。
この「他者」とは誰だろう?私たちの「平和な暮らし」は、どんな他者とのつながりで成り立っているのだろうか。誰かを犠牲にしていないだろうか。自分が犠牲になっていないだろうか。日本の中の誰かを、他国の誰かを、犠牲にしていないだろうか。知らないうちに、その「犠牲のしくみ」の中に取り込まれてはいないだろうか。「平和な暮らしを守る」と言っている日本の政治、そのエネルギー政策、貿易産業政策、「安全保障」政策、国際協力政策は、ジャストピースに叶ったものと言えるだろうか。「まあ仕方ないか」と追認することが、不公正を生み出し、他者を苦しめ、あらゆる暴力の温床をつくり出す原因を招き寄せてはいないか。もしそうなら、私たちはジャストピースを生きているとは言えないだろう。
見えにくい他者、見えない他者の存在をいかに意識し、想像力を身につけていくかが、平和づくりの鍵となる。
『非戦・対話・NGO 国境を越え、世代を受け継ぐ 私たちの歩み』より抜粋 その4
コラム9 渡部朋子 『韓国人原爆犠牲者慰霊碑が問いかけるもの』
かれらがあの日、広島にいたことは、紛れもなく日本の戦争と植民地政策の結果であるにもかかわらず、今日そのことは、ヒロシマを語る時にそぎ落とされてしまっている。原爆によって亡くなった朝鮮半島の人々は、現在の北朝鮮による核・弾道ミサイル実験をどのように思っているだろうか。広島の地で、原爆に焼かれ、あるいは、生き延びても塗炭の苦しみの中で生きて、最期を迎えなければならなかった人々にとって、その「死の意味」とは何なのであろうか。北朝鮮の人々にとって、自分たちが「対等」に扱われるための「核」であるならば、「核」を「非核」とする作業は、対等な関係構築を前提とした粘り強い信頼醸成の努力が必要なのではないか。私は長い間、私たちが朝鮮半島の問題にきちんと向き合うことを避けてきた結果が、北朝鮮の「核保有」という現象をつくり上げてしまったように感じている。私たちは北朝鮮に生きる市井の人々を想像できてはいない。
心穏やかに
台風8号が来ている。
最初の沖縄本島直撃する予想からはかなり南にそれたが、今まだ強風が吹いている。
昨日から仕事は休み、無論海にでることもできず、辺野古の護岸はどうなったろうかと思いながら、家で待機している。
人間は勝手なもので、日照りが続けば雨が降って欲しいと言い、台風がどっちへ進んだと言っては一喜一憂する。
本土では大雨が深刻な被害をもたらしている。
いつどこに大きな地震がきたっておかしくはない。
どうあがいても大自然の力に人間はかなわない。
自然に寄り添って、自然に委ね、自然の恵みをいただきながら生きていくしかない。
どれだけ科学技術が進歩しようとも、自然を力でおさえつけるような不遜な生き方をすれば、必ず先で破綻する。
人も自然の摂理の中に組み込まれている存在であることを忘れてはならない。
先日は台風で稲が倒れる前にと、急遽前倒しとなった知人の田んぼの稲刈りを手伝いに行ってきた。
短い時間だったが、裸足で泥を踏んで体を動かすことに安らぎを感じた。
僕は農業の経験はほとんど無いが、土にまみれているとなんとなく懐かしさがわいてくる。
子どもの頃に夢中になって泥だんごを作って遊んだ感覚が蘇ってくるのかもしれない。
家で本を読むのにも飽きたので、もらってきた端材を使って以前から暇を見つけてやってた、ベランダ用の踏み台作りを終わらせた。
隙間だらけで雑な仕上がりだが、まぁ踏み台だからいいだろう。
ものを作るのは楽しい。
またそのうち何か作ってみよう。