夢をあきらめずに

You may say I’m a dreamer. But I'm not the only one.

誰もいない海

辺野古 1/25,26

辺野古では厳しい海上行動が続いている。
その日に集まった10数艇のカヌーをオイルフェンス越しに、それを上回る数の海保ゴムボートが待ち受けている。

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つまり、マンツーマンで各カヌーにはぴったりゴムボートのマークがついていて、オイルフェンスを越えて上手く目の前のゴムボートを交わしたとしても、余ったゴムボートが行く手に先回りして待っている。
さらにその奥には別のオイルフェンスが張られ、護岸の上では数名の海上保安官が待機をしている。
護岸で待つ海保は出番がほとんどなく、緊張感も緩みぼんやりしているように見える。
それほど隙のない、彼らとしては余裕綽々の警備体制だ。

重いカヌーをオイルフェンスに引っぱり上げていては間に合わないので、隙をみてカヌーから海中へと飛び込むこともある。
沖縄の冬は過ごしやすいとはいえ、海水で濡れた身体でゴムボートに乗せられると、風の強い日や曇り空の日には震えが止まらなくなる。

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辺野古側の海で護岸工事が始まったのは昨年の11/6だ。
ドクロ前のK1護岸と、シアター前のN5中仕切り護岸のふたつの工事が並行して進められ、この二ヶ月半でK1護岸(216m)とN5中仕切り護岸(278m)は残念ながら作られてしてしまった。
現在はK1護岸から角度を変えてK2護岸(222m)、N5中仕切り護岸の先端からT字に左右に伸ばす様にk4護岸(1029m)、このふたつの工事が始まっている。

石材を大浦湾へ持ち込む運搬船も、週に何度もやって来るようになった。

権限を行使して基地建設計画に抵抗する名護市長と沖縄県知事選の首をすげかえようと、市長選、知事選に向けて、工事が後戻り出来ない程に進んでしまったという諦めムードを県民の間に作り上げるために、国は目に見える既成事実を次々に積み上げている。

だが、先行きには未解決の問題がいくつも有り、基地建設計画自体の目処が立っているとはとても言い難い。

また、工事を加速させ税金をどんどんそこにつぎ込むことは工事利権のバブルをうみ出し、工事が進めば景気が良くなるという錯覚を植えつける。

しかし、そのアメ玉と引き換えには、戦争という鞭が待っていることを忘れてはならない。

 

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オイルフェンスを隔てて会話している時に海保が
「私は中立ですから。基地建設賛成でも反対でもない。中立です」
と言った。
今、目の前で命が殺されていくのに、中立なんてあり得ない。
「止めろ!」と言わなければ、賛成だろうが中立だろうが、同じこと。
反対しなければ、容認したと見なされる。
海の生き物が殺され、子どもたちの平穏な未来が壊されていくことを、“止める”か“見過ごす”か、この二択しかあり得ない。

職務中には海上保安庁職員としての立場もあるのだろうが、職場を離れ一個人の人間として生きる時間には、中立という言葉は使わないでもらいたい。
中立というのは、冷静で公正な立場に思えるかもしれないが、かけがえのないものが目の前で壊されようとする今、中立は最も無責任で大人として恥ずかしい立場だ。

想いを行動に変えて、表現しなければならない。
それはそれぞれの人の置かれた立場や能力や様々な事情で、いろんなカタチがあっていい。
しかし、「止めろ!」という想いを表さなければ、止まることはない。
これは沖縄で起こっている問題だが、「沖縄問題」ではない。
「命を守る」かどうかの問題だ。

どんなに状況が厳しくても、それでも僕らは海に出る。
今壊されているものは、お金では到底売り渡せないものだ。
「止めろ!」と行動で示さなければ、それを容認したことになるのだから。

声をあげる人が誰もいない海にはしない。

 

想いを行動につなげて欲しい。

 

 

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後戻りのできない道

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辺野古 1/6

 

2018年の僕のカヌー始め。

今日はドクロ前K1護岸の工事は行われておらず、シアター前のN5中仕切り護岸にカヌー11艇と抗議船3隻で挑む。

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海保のGBはカヌーの数より多く、オイルフェンスの囲いの内側を自在に動き回り僕らの行く手を阻む。

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各GBには3〜6名の海上保安官が乗船し、浜や護岸の上でも十数名の海上保安官が待ち構えている。

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抗議船のクルーを合わせてもたった16人の抗議者に対して、トータル60〜70くらいの海上保安官を投入しての警備態勢。

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装備面を比較してもエンジンをふたつ搭載した高速ゴムボートと手漕ぎの小さなカヌーでは、力の差は歴然としている。

更に彼らは国家権力を与えられている。

彼らが暴力的な排除でケガ人を出そうが、抗議船を破損させるような手荒い制圧をやろうが、ほとんどは不問にされてしまう。

僕らは非暴力での抗議行動を共通の理念としているが、身を守ろうと構えた手足が誤って海保の身体に当たったとしても、公務執行妨害に問われる可能性は十分あり得る。

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この力の不均衡な状態で小さなチャンスを探して動き回り、隙をついてオイルフェンスを越える。

運良く数メートル進めたとしても、その先には更にオイルフェンス二つの壁が護岸から僕らを遮っている。

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(護岸は3重オイルフェンスで囲われている)

 

カヌーがGBから飛び込んだ海保に取り押さえられても、僕らはカヌーから飛び込んで泳いで、少しでも現場に近づこうとしてきた。

乗り手と離れたカヌーは当然波に流されていくことになるが、昨年末より海保は突如「オイルフェンス内でカヌーから飛び込んだために乗り手のいなくなったカヌーは放棄されたものと見なし、回収しない」という嫌がらせを始めた。

たとえ2,3メートルという目の前にカヌーが漂っていて、僕らがカヌーを放棄したのではないと、その所有権を主張して回収を強く求めても、彼らは僕らの身体を拘束しカヌーから遠く引き離す。

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オイルフェンス内なので、このカヌーを自分たちで回収することは、運良くオイルフェンスの外側から手の届く場所に流れつかない限り不可能だ。

「流されたカヌーについては放棄されたものと判断し、海上保安庁は関与しない。返還は防衛局に求めてくれ」というのが彼らの言い分だ。

しかし、昨年の4/25のK9護岸工事が始まって以来、同様に抗議者がカヌーから離れるということは頻繁に行われてきたし、カヌーの回収と返還を求めればその都度海保は対応してきた。

この突如の方針変更については全く納得のいく説明がなされたわけではない。

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防衛局に返還を求めればカヌーが戻ってくるとはいえ、それは当日ではなく翌日以降のことになる。

別のカヌーをテントから運んで準備するにも時間がかかり、抗議行動の時間は大幅に奪われる。

とにかくそうやって小さな嫌がらせをして、僕らを現場から遠ざけることが目的だ。

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このことからも、海保が辺野古の海では「海の安全」を守る仕事をしているのではなく、「工事の進行」を守る仕事をしているということが分かる。

僕らは違法に進められている工事を止めようとしているのだから。

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この常軌を逸した過剰警備に守られることによって、海を殺し、子供たちの未来をつぶす埋め立て工事が強行されている。

この国は後戻りのできない道を歩もうとしている。

止めることができるのは市民の力だけだ。

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辺野古崎付近の浜では資材搬入や重機の行き来の為に使われる仮設道路敷設のための調査と思われる作業が行われていた)

壁と穴

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 (やんばるアートフェスティバル 旧塩谷小学校)

 

ちょっと前に某コメディアンが漫才の中に沖縄や原発などの社会問題を盛り込んだことで、日頃のマスメディアのだらしなさに辟易していた人々の間が賛否両論で少々騒がしい。
「よくぞやった!」と彼を絶賛する人もいれば、彼の過去の発言や、そのネタの稚拙さを指摘し、猛烈に否定する人までいて、彼がホンモノかニセモノかという議論を通り越して、異論を唱える相手方の感性全体までも否定してしまうかのような論調を目にすると、とても残念な気持ちになる。


まぁとにかく、彼はほとんど誰も手をつけなかった壁の目立つ所に、ちょっとした穴を開けて、『入口』という札をかけるくらいのことはしたんじゃないかな、というのが僕の感想だ。
その『入口』の意味は最早作った人物の真贋や意図とはかけ離れつつある。
その『入口』をくぐるかどうかは受け手それぞれの自由であり、そこから入って何処まで踏み込んで何を見て何を知るのかは個々の感性に委ねられている。
ある人にとっては大きな一歩を踏み出すドアになるかもしれない。
中を覗いただけで立ち去る人も多いだろう。
その価値なんて、受け手によってどうにでもなる。
その程度の事だ。

 

けど、とにかく穴はひとつ開いた。
その穴の良し悪しをどうこう言いあって互いに消耗するよりも、次々に穴を開けることにもっと力を注ごうよ!と僕は言いたい。
見すぼらしい穴や、小さい小さい穴や、惚れ惚れするような穴や、歪な穴をみんなでどんどん開けて、壁なんて壊してしまおう。
新年の抱負なんてたいしたもんじゃないけれど、それがこれからも僕のやりたい事のひとつです。

 

この先は、沖縄の基地問題に限らず、あらゆる面で僕らは壁に囲われていくことになる。
どんどん視野は小さくなって、心を通わすことが難しくなる。
彼らはそうやって僕らを分断して、孤立させて、彼らの見せたいものだけを見せようとするのは間違いない。
3ヶ月ぶりに訪れた首都トーキョーの街をチラッと見ただけで、もうそれがとっくに始まっていて、着々と進められていることを感じたよ。
トーキョーはもう戦前のニオイがプンプンしていた。
だから、僕らは壁にどんどん穴を開けなければならない。
それは誰だってできるはず。

 

もうひとつ僕のやりたい事は、誰かの開けてくれた穴を『入口』にして、躊躇せずにどんどん奥に入っていって色んなものを見る事だ。
この二週間、小さな上映会を仲間と開くことができたし、海にも出たし、宜野湾やヤンバルでたくさんの人と会って話をしたりもした。
彼女の開けてくれた穴を通って、六文銭の町や、壮観な雪山の連なりを見てきた。
そこに暮らす人々は本当にあたたかく迎え入れてくれて、不器用ながらも僕なりに触れあうこともできた。
それは僕にとってのこの世界が確実に変わったことを意味する。

 

僕らはまだ何ひとつ分かっていない。
出会うべき人ともまだまだ出会っていない。
僕らは常に言葉足らずだし、考えが浅はかだし、誰も全体像など見えてはいない。
分かったつもりになっちゃいけない。
伝え続けねばならない。
互いに知ろうとすることを止めてはいけない。
お互いの死角に有るものを、相手の背中に何が有るのかを、知らせ補い合っていかなければならない。
僕らが知っていることなどほんの僅かだ 。
真実は簡単には見つからないし 、ほんとうのことは滅多に語られないのだから 。

 

このふたつを続けていけば、僕らは世界を変えられる。
ということで、みんなで一緒になって、あの手この手でやりましょう。
引き続きよろしく。

 

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那覇空港沖は護岸で囲われて、埋め立て拡張工事が進んでいる。近い将来の辺野古の様子を見るようで心が痛む)

 

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 (鹿教湯温泉 氷灯ろう)

 

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善光寺の力強い金剛力士像。製作者の一人である高村光雲高村光太郎の父なんだそうだ)

 

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善光寺

 

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(独鈷山とっこさん)

 

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(くりくり瞳でメイ君がお出迎え)

 

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 (沖縄手ぬぐい。この鳥はなんでしょうか?)

 

 

怒りと悲しみの向こうに

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辺野古 12/16

 

本部港からの石材を積んだ台船が大浦湾に入るという情報を受けて、早朝からカヌーメンバーも数艇の抗議船に分かれて乗り込み、大浦湾の航路沖で台船を待ち構えた。
僕の乗り込んだ“ぶるーの船”は定員5名の最も小さな船だ。
その船に船長と補佐に加えて、カヌーメンバー3名が乗船して定員いっぱいの状態。

夜明けすぐのまだ薄暗い辺野古漁港を出港して間もない頃から、海保のGB2艇(GB17とGB21)が、ぶるーの船につきまとっていた。

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辺野古沖に停泊している海保の巡視船)

午前9時前になって台船が大浦湾へ近づいてきた。

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(石材を積み込んだ台船)


ぶるーの船は台船を左舷側に見る位置から台船の方へ近づこうと進んでいた。

まだ台船まではかなりの距離が有ったが、右舷側からGB21と左舷側からはGB17がぶるーの船の船首を挟み込むように船体を何度もぶつけてきた。
ぶるーの船は前をGBに塞がれ進めない状態になり、GB2艇によって船首を左へ旋回させられた。

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2艇のGBに挟まれほぼ停船している状態で、手荒い制止の仕方について抗議をしているとGB21のドライバーが「バカ」という暴言を吐いた。

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(暴言を吐いたドライバー)

 

それについても口頭で強く抗議していると、急にGB21の艇長と思われる人物の「はい、じゃあ規制します」という指示によって、GB21から2名、GB17から1名の計3名がぶるーの船に一斉に乗り込んできた。
船長から強引に操船権を奪おうと船上でもみ合いとなった。
この状況になる前に、ぶるーの船からGBには「定員いっぱいの5名が既に乗船しているので、危険だから乗り込むな」という警告は数回行っていた。

定員5名の小さな船で、海保3名が乗り込み混乱を招いたことにより、船体は大きく左右に揺れ、あわや転覆という状況にまで傾き、乗船していた女性が海に投げ出された。
女性はほどなく海保によってGBに引き上げられたが、ぶるーの船は船体が大きく傾いたことで浸水が激しく、エンジンもかからない状態に。
乗組員が沈没の危機にあることを仲間に無線で伝えたことで、海保も事態の深刻さを把握したのか、沈没回避のためにぶるーの船からGBへ戻った。

浸水した水をぶるーの船に有った箱メガネでかきだした。

海保も一緒になって柄杓で水をかきだすことにより沈没することはどうにか避けられた。

 


辺野古海上 抗議船から女性落水

 

 

船体をぶつけて制止させる行為、暴言などももちろん大きな問題だ。
しかし、最も重大な過失は定員5名の船に3名の海保が一斉に乗り込み海賊を制圧するかのごとく操船権を奪おうとしたことだ。
ぶるーの船はGB2艇に挟まれて自由に進めない、既にほとんど停止している状態にあり、左に旋回させられたことによって台船は右舷の後方に通り過ぎた後だった。

小さな船を転覆の危機にまで陥れるようなリスクを冒してまで、一斉に3名が乗り込み操船権を奪う必要は全く無かったのだ。

 

 
抗議船への過剰な規制

 

後で聞いた話では他の抗議船でも同様に、海保が乗り込み操船権を奪うということが行われたようだ。
恐らくそれは海保の中で事前に打ち合わせされた手順だったのだろう。
しかし、前述の通りぶるーの船に関してはそこまでやる必要は全く無かった。
現場の状況判断をせずに、思考停止して臨機応変な対応をせず、ただただ指示された通りに動く。

このような海保の対応が今までも幾度となく危険な状況を生み出し、何人もの怪我人を出したし、抗議船を壊すような事故も度々引き起こしてきた。
最も忘れてはならないのは2015年4/28に海保が定員を超えて乗り込むことによって引き起こされた小型の抗議船“ラブ子”の転覆事故だ。

この事故は本当に一歩間違えば死者が出てもおかしくなかったという深刻なものだった。
今回の転覆未遂事件を見る限り、ラブ子転覆事故の教訓は海上保安庁の中で全く活かされていないとしか思えない。
起こってしまった事故を真摯にとらえ、自省を込めて検証し、二度と同じような事態を招かないように対策を講じて引き継いでいかなければ、いつかは死者がでるような事故が起こってしまう。
それは私たちにとっても、海保にとっても望まない出来事であるはずだ。

自らの非を認めず、「正当な行為」だと強弁し、何事もなかったとうやむやにしてしまうことで、同じような事故は繰り返される。
それは次々と繰り返される米軍の事件、事故を見て、もう十分に分かっているはずだ。

改善されることを願ってやまない。

 

 

一旦浜に戻った後には、カヌーに乗り換え、先日亡くなった抗議船船長への追悼式を海上で行った。

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一見すると強面で、憎まれ口にも聞こえるような冗談ばかり言っている人だったが、つきあってみれば面倒見のいい優しい人だった。
次々と不当逮捕が続く現場を救援活動を通して陰で支え奔走する仕事も、あの人でなくてはなし得なかったに違いない。
そして、苦しい闘病を続けながら最後まで現場に立とうとしたことで、強い思いを僕らに示してくれた。

 

カヌーの仲間が作ってくれた似顔絵入りのバナーを見たら、抑えていた悲しみがこみあげた。

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牧師でもある船長からお祈りが捧げられた後に、カヌーや抗議船に乗った全ての人が別れの花を彼が守りぬいた辺野古の海に手向けた。

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本当お世話になりました。

ありがとうございます。

どうぞ安らかに。