壁と穴
(やんばるアートフェスティバル 旧塩谷小学校)
ちょっと前に某コメディアンが漫才の中に沖縄や原発などの社会問題を盛り込んだことで、日頃のマスメディアのだらしなさに辟易していた人々の間が賛否両論で少々騒がしい。
「よくぞやった!」と彼を絶賛する人もいれば、彼の過去の発言や、そのネタの稚拙さを指摘し、猛烈に否定する人までいて、彼がホンモノかニセモノかという議論を通り越して、異論を唱える相手方の感性全体までも否定してしまうかのような論調を目にすると、とても残念な気持ちになる。
まぁとにかく、彼はほとんど誰も手をつけなかった壁の目立つ所に、ちょっとした穴を開けて、『入口』という札をかけるくらいのことはしたんじゃないかな、というのが僕の感想だ。
その『入口』の意味は最早作った人物の真贋や意図とはかけ離れつつある。
その『入口』をくぐるかどうかは受け手それぞれの自由であり、そこから入って何処まで踏み込んで何を見て何を知るのかは個々の感性に委ねられている。
ある人にとっては大きな一歩を踏み出すドアになるかもしれない。
中を覗いただけで立ち去る人も多いだろう。
その価値なんて、受け手によってどうにでもなる。
その程度の事だ。
けど、とにかく穴はひとつ開いた。
その穴の良し悪しをどうこう言いあって互いに消耗するよりも、次々に穴を開けることにもっと力を注ごうよ!と僕は言いたい。
見すぼらしい穴や、小さい小さい穴や、惚れ惚れするような穴や、歪な穴をみんなでどんどん開けて、壁なんて壊してしまおう。
新年の抱負なんてたいしたもんじゃないけれど、それがこれからも僕のやりたい事のひとつです。
この先は、沖縄の基地問題に限らず、あらゆる面で僕らは壁に囲われていくことになる。
どんどん視野は小さくなって、心を通わすことが難しくなる。
彼らはそうやって僕らを分断して、孤立させて、彼らの見せたいものだけを見せようとするのは間違いない。
3ヶ月ぶりに訪れた首都トーキョーの街をチラッと見ただけで、もうそれがとっくに始まっていて、着々と進められていることを感じたよ。
トーキョーはもう戦前のニオイがプンプンしていた。
だから、僕らは壁にどんどん穴を開けなければならない。
それは誰だってできるはず。
もうひとつ僕のやりたい事は、誰かの開けてくれた穴を『入口』にして、躊躇せずにどんどん奥に入っていって色んなものを見る事だ。
この二週間、小さな上映会を仲間と開くことができたし、海にも出たし、宜野湾やヤンバルでたくさんの人と会って話をしたりもした。
彼女の開けてくれた穴を通って、六文銭の町や、壮観な雪山の連なりを見てきた。
そこに暮らす人々は本当にあたたかく迎え入れてくれて、不器用ながらも僕なりに触れあうこともできた。
それは僕にとってのこの世界が確実に変わったことを意味する。
僕らはまだ何ひとつ分かっていない。
出会うべき人ともまだまだ出会っていない。
僕らは常に言葉足らずだし、考えが浅はかだし、誰も全体像など見えてはいない。
分かったつもりになっちゃいけない。
伝え続けねばならない。
互いに知ろうとすることを止めてはいけない。
お互いの死角に有るものを、相手の背中に何が有るのかを、知らせ補い合っていかなければならない。
僕らが知っていることなどほんの僅かだ 。
真実は簡単には見つからないし 、ほんとうのことは滅多に語られないのだから 。
このふたつを続けていけば、僕らは世界を変えられる。
ということで、みんなで一緒になって、あの手この手でやりましょう。
引き続きよろしく。
(那覇空港沖は護岸で囲われて、埋め立て拡張工事が進んでいる。近い将来の辺野古の様子を見るようで心が痛む)
(鹿教湯温泉 氷灯ろう)
(善光寺の力強い金剛力士像。製作者の一人である高村光雲は高村光太郎の父なんだそうだ)
(善光寺)
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(沖縄手ぬぐい。この鳥はなんでしょうか?)