夢をあきらめずに

沖縄暮らしの記録

感性のセンサー

辺野古 6/5

K9護岸工事は捨て石を積んだ基礎の部分を測定して仕上がりを確認し、まんじゅう型の袋材を並べて基礎を覆っていく作業が行われた。

 


まんじゅう型袋材投下 6/5

 

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沖へ向かって捨て石を次々と海へ沈め、形を整え基礎を作り、まんじゅうで覆って仕上げたら伸びた数メートルに鉄板を敷いてクレーンが前へ出る。この繰り返しで護岸が次第に沖へと伸ばされていく。


人間というのは怖いもので、最初は衝撃を受けた「捨て石が水しぶきを上げて海に落ちていく様子」も、「ゴロゴロと捨て石が転がる嫌な音」も、繰り返し繰り返し体験して日常となってくると、だんだんそれに慣れてくる。
ゲート前で抗議する人を機動隊が力づくで閉じ込めて人権を侵害することも、半年前に墜落したばかりの欠陥機オスプレイが大手を振って頭の上を飛び回ることも、異常な事態であるが日常化するとそれが“普通”となってしまう。
点きっぱなしの警告ランプはそのうち気にならなくなり、意味をなさくなってしまう。
それは僕らの感性のセンサーがひとつひとつ壊れていくことだ。

そうならないために、僕らはもっともっと注意深く物事をよく見て、変化を探さなければならない。
昨日捨て石に潰されたサンゴと、今日潰されたサンゴは全く別物だということに思いを馳せよう。
沖へ伸び水深が深くなったため、今日からまんじゅうの袋材は一回り大きなものに変わった。見えはしないが、水中の捨て石の山も水深に合わせて高くなり裾野が広がってきている。
作業工程は繰り返しの単調なものだが、毎日違うことが起きている。
目と耳と想像力を使って、現実を受け止めなければ、感性の鈍化の波に僕らは容易く飲み込まれてしまう。

 

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(今日は膝上まで水に浸かって海保が待ち構えていた。)

 

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(ここはフロートのラインがむき出しになっている。この太さでフロートの球を数珠つなぎにしている。かなり丈夫だ。)

 

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(また日曜日に人目を忍んで大浦湾に入ったバージ船。先週入ったバージ船と同じように緑色のシートに包まれた機器が二つ乗っている。)

 

 

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(まんじゅう袋材がひと回り大きくなったので、ダンプカーで運んでくるようになった。)

 

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(波風で次々と破損していくフロートを補修する作業があちこちで延々と続けられている。)

 

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(海上作業ヤード予定地付近でボーリング調査を行うスパッド台船への抗議も行った。)

 

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(今日のグレーは食欲旺盛だった。)