命を守るための行動を
アジサシが辺野古に戻ってきた。
毎年初夏になると渡ってくる小さく白い愛らしい鳥、エリグロアジサシ。
魚をめがけて一直線に海中へダイブしていく姿は機敏でとても美しい。
しかし、今年の辺野古イノーはアジサシの目にはいつもと違って映るだろう。
彼らが巣を作り卵を抱いて温める場所である通称シュワブ岩や辺野古崎の岩場は、基地建設埋め立て護岸工事の真っただ中にされてしまった。
僕らはこの季節になると、カヌーで辺野古イノーを横切る時には、アジサシの居る岩場には近づかないように注意をしていた。
人が寄っていくと親鳥は巣を放棄してしまうからだ。
護岸の上をダンプが行き交い、石材をゴロゴロ転がし、ユンボで叩いて護岸を形作っていく騒がしい現場の中へ取り込まれてしまった岩場に、アジサシはおそらくもう近づかないだろう。
基地が出来上がればシュワブ岩は埋められて滑走路の真下となり、そこに有ったことさえ分からなくなる。
ウミガメも繁殖~産卵期を迎えている。
キャンプ・シュワブの敷地との境界を示す松田ぬ浜のフェンスから、辺野古崎まで続く海岸線の砂浜には、昨年もネットで囲って保護されている場所がいくつも有った。
ウミガメが産卵した場所だ。
ウミガメは数年おきに、生まれた浜に戻って卵を産むと言われている。
しかし、この半年で海を大きく囲い込む護岸の建設が進み、それと並行して海岸線に沿って工事資材を運ぶ車両が走る仮設道路が作られたために、ウミガメは産卵しに浜に上がることができなくなっている。
この一ヶ月ほど、辺野古の海では毎日のようにウミガメの姿を目にするようになった。
これほど頻繁にウミガメを見かけることはなかった。
生まれ故郷の浜に上がれなくなったウミガメが途方にくれて彷徨っているのだろう。
ここはジュゴンやウミガメにとって貴重な餌場でもある。
海草アマモが生い茂る海底には、数年前までジュゴンの食み跡が確認されている。
ところが、ボーリング調査や工事が始まり騒がしくなった辺野古、大浦湾にはもうジュゴンは寄りつかなくなった。
今は護岸工事現場を囲い込むオイルフェンスが、干潮時に波に揺られて海底を擦り、ちぎり取られたアマモがオイルフェンスの周りにたくさん浮いている。
絶滅が危惧される生き物だけの問題ではない。
辺野古イノーは様々な魚、貝、カニ、ヒトデ、ヤドカリ、サンゴ、鳥、海草など、多様な命の生きる場所である。
十分に洗浄もされていない捨て石が海に投げ込まれることで、護岸周辺では海水は白く濁っている。
環境の悪化ですみかを追われ、捨て石に踏み潰され、毎日命が失われている。
護岸工事による辺野古イノーの実害は他にもたくさんあるに違いない。
その一方で、『まだ基地建設全体の数パーセントしか工事は進んでいない、まだ取り返しのつかない事態にはなっていない』という楽観論が、基地建設に反対する人たちの中からも聞こえてくる。
日米両政府の傲慢な野望による基地建設計画全体を分母として、今の自然破壊の進行をカウントすることに意味があるとは僕には全く思えない。
たとえ1パーセントでも失われた命は戻らない。
自分の身体が不慮の事故で一部失われた時に、「たった何パーセント」だからと、気にもとめない人はいないだろう。
喪失の意味はパーセントでは表せない。
現在、辺野古イノーでの護岸工事は1.5kmが捨て石と被覆ブロックの設置を終えている。
しかし、これは「護岸が1.5km完成した」のではない。
捨て石を積み上げ、被覆ブロックで覆っただけの現状では、護岸の完成状態よりも4mも高さが低い。
設計通りにL型擁壁と消波ブロックをさらに設置して、初めて護岸工事の完成となる。
高さが不十分な護岸の状態で、囲った内側に土砂投入をすることは、台風や高波の際に深刻な海洋汚染を招く恐れがあり、決して許されないことを強調しておきたい。
このままのペースで護岸工事が進むと、あと一ヶ月前後では2ヶ所の埋立区域の護岸囲い込みが閉じられる。
護岸が閉じて外海と切り離されてしまえば、その内側は温度が上昇し環境が激変するはずだ。
そうなってしまうと、中の生き物の多くは死滅してしまうだろう。
護岸工事では線を引くような破壊だった。
しかし、護岸が閉じればオセロの駒が次々と裏返るように、ケタ違いの“面”の破壊が一気にすすむ。
その面積は2ヶ所の埋立区域を合わせると東京ドーム約8個分の広さに相当する広大な海域だ。
そこに生きる命の数を想像して欲しい。
辺野古イノーは大量虐殺が目前に迫った危機的状況にある。
この日米両政府による野蛮な破壊行為をどうにかして止めなければならない。
その切り札と言えるのが沖縄県知事による埋め立て承認の撤回だ。
11月に県知事選をひかえ、様々な政治的駆け引きが渦をまいているようだ。
知事が承認撤回しても、政府が撤回を無効化するための法的措置を取るため、工事が止まるのはたった数日だとも言われている。
しかし、今必要とされているのは知事が先頭に立って、護岸が閉じられてしまう前に埋め立て承認撤回のカードを切って、命を守る姿勢を県民にはっきりと示すことだ。
もし、知事が撤回のタイミングを逸し、護岸が閉じられてしまえば、命を見殺しにすることになる。
沖縄県民が大切に守りぬいてきた大義のひとつである「命どぅ宝」を知事が見失う時、多くの県民は失望し心が離れていくことだろう。
工事が止まるのはたった数日だとしても、命を守るために知事があらゆる手段を尽くすなら、県民は必ず知事を支持して結束を深めるだろう。
決断を迫られているのは県知事だけではない。
大量虐殺がカウントダウンされている今、この国に生きる私たち一人ひとりが重い決断を迫られている。
命が殺されようとしている時、【中立】は有り得ない。
命が殺されることを【止める】か、【止めない】か、どちらかの選択が有るのみだ。
冷静を装う【中立】は、殺されることを見過ごすことに他ならない。
命が失われてしまう前にしか出来ないことがある。
命を守るために今、一人ひとりが力を尽くそう。
進むべき道を見失わないように
辺野古 4/21
第三土曜の海上行動集中行動日。
4/25海上座り込みでのカヌーデビューを目指しカヌー教室に通う人も含めて、37名のカヌーの仲間が集まり、賑やかな朝のミーティングとなった。
カヌーを浜まで運び降ろし始めたが、風が強く、波打ち際もかなり荒れている。
午後に向けて風はさらに上がっていき、昼過ぎには雲ゆきも怪しくなる予報だ。
護岸工事のクレーンも強風で作業を見合わせている様子だった。
みんなで協議し、カヌーでの行動は中止し希望者のみ抗議船で現場を見に行くことになった。
船は一旦海へ出たが、波風がひどく、結局は船の運航も取りやめられた。
安全を確保出来ない状況であれば、それを押し切って海へ出ることはしない。
僕らは命を守るために行動しているのだから。
初心者向けのカヌー教室は、堤防で囲まれて比較的波が穏やかな浜テント前の海で行われた。
辺野古ぶるーへと新たに加わってくれる仲間たちに、とても期待している。
4/25に迫った海上座り込み行動の日も、同様に天候不良で海へ出られない可能性はある。
カヌーと抗議船の乗船者合わせて、200人を超える大きな行動となるが、天候判断については普段と変わらない。
もし、生憎の天気で海に出られなかったら、みんなでゲート前に座ろう!
カヌーや船で護岸工事現場に行けないのは残念だとしても、僕らの目的は違法な基地建設を止めることにある。
そのことを見失わないようにしたい。
夕方は名護でのシンポジウム『サンゴ移植は環境保全措置となり得るか⁈』に。
人間の身勝手な都合で動植物を移動させたとしても、そのままの生態系が新しい場所の環境に根づくことはない。
移された先で大半の生き物は死滅してしまう。
命はそれぞれ、生きていくに適した環境の元で暮らしている。
そこに居るのには、ちゃんとした理由があるのだ。
環境破壊の罪を無かったことにするために、実績の伴わない“命の移植”を進めることは許されない。
詳しく知れば知るほど、自然を壊しながら守るふりをする傲慢な文明社会の顔が浮かび上がって見えてきた。
海も山も誰のものでもない。
私たちが生きいくために自然から命を頂くことが許されるのは、私たちが自然に寄り添い、大自然の一部として生きる時だけだ。
命を弄ぶ環境破壊は人間を大自然から切り離す。
自然の摂理からかけ離れていくその道には、滅びのシナリオしかあり得ない。
(大久保 奈弥さんのお話はとても分かりやすく、研究者として辺野古の現状に対する静かな怒りが伝わってくるものだった)
今しか出来ないこと
辺野古 4/16
測定したところK3護岸も計画の70%の長さまで捨て石の投下が完了し、残りは60mほどだという。
K3護岸が予定長に達して左折し、K4護岸が西と東双方から伸び始めたら、オイルフェンスから工事の行われている護岸までは100m以上の距離がある。
カヌーで工事の現場に近づくには、オイルフェンスを越えて、海保のGBを振り切って100mの距離を漕がなくてはならなくなる。
これは至難の業だ。
現在、K3護岸まではオイルフェンスから数十m。
K3護岸が予定長に達するまでの残り数週間が、 カヌーで護岸に近づける最後のチャンスとなる可能性もある。
今しか出来ないことをやり逃して後悔することがないように。
美ら海へ来て欲しい。
(西へと伸びていくK4護岸。オイルフェンスからかなり遠い)
(辺野古崎のN3護岸は早くも海に到達しそうだ)
(N3護岸)
(N3護岸)
(K1護岸とK2護岸の変わり目から見たK3護岸方向)
※工事進捗状況は以下を参照
https://henoko.jimdo.com/工事の進捗/
クリエイトする人々
辺野古 4/13
君がどう思うか知らないけど
ここに集まってくる人々は実際とても個性豊かだ
僕たちは
土を耕し作物を育てる人
家畜を飼い肉を捌く人
海に漕ぎ出し魚を捕る人
糸を紡ぎ衣服を仕立てる人
言葉を編んで物語や詩を作る人
感性を解き放ち絵を描く人
カメラを使って映像や写真に現場を写し取る人
記事を書き真実を世に知らしめる人
ビートに乗って楽器を奏でる人
心を震わせ唄う人
全身を研ぎ澄まし踊る人
イマジネーションを駆使し演じる人
気の利いたジョークで場を和ませる人
学問を通して対象を捉える人
建物や家を設計し形作る人
必要とされる場所まで人や物を運ぶ人
人や花を育てる人
心をこめて食事を作る人
我を忘れて人々を癒す人
手を握って人々を看取る人
そして、あの世へ死者を送り出す人
多種多様な個性を持った僕たちは
たった一つの目的のために
それぞれここに集まってくる
権力者が力尽くでこの地に戦争を呼び込む基地を作ろうとするのなら
僕たちはそれに抗い
それぞれの力を合わせて
ここに平和を築く
僕らがデザインしクリエイトする穏やかな未来は
僕たちが共同で作るひとつのアートだ