怒りと悲しみの向こうに
辺野古 12/16
本部港からの石材を積んだ台船が大浦湾に入るという情報を受けて、早朝からカヌーメンバーも数艇の抗議船に分かれて乗り込み、大浦湾の航路沖で台船を待ち構えた。
僕の乗り込んだ“ぶるーの船”は定員5名の最も小さな船だ。
その船に船長と補佐に加えて、カヌーメンバー3名が乗船して定員いっぱいの状態。
夜明けすぐのまだ薄暗い辺野古漁港を出港して間もない頃から、海保のGB2艇(GB17とGB21)が、ぶるーの船につきまとっていた。
(辺野古沖に停泊している海保の巡視船)
午前9時前になって台船が大浦湾へ近づいてきた。
(石材を積み込んだ台船)
ぶるーの船は台船を左舷側に見る位置から台船の方へ近づこうと進んでいた。
まだ台船まではかなりの距離が有ったが、右舷側からGB21と左舷側からはGB17がぶるーの船の船首を挟み込むように船体を何度もぶつけてきた。
ぶるーの船は前をGBに塞がれ進めない状態になり、GB2艇によって船首を左へ旋回させられた。
2艇のGBに挟まれほぼ停船している状態で、手荒い制止の仕方について抗議をしているとGB21のドライバーが「バカ」という暴言を吐いた。
(暴言を吐いたドライバー)
それについても口頭で強く抗議していると、急にGB21の艇長と思われる人物の「はい、じゃあ規制します」という指示によって、GB21から2名、GB17から1名の計3名がぶるーの船に一斉に乗り込んできた。
船長から強引に操船権を奪おうと船上でもみ合いとなった。
この状況になる前に、ぶるーの船からGBには「定員いっぱいの5名が既に乗船しているので、危険だから乗り込むな」という警告は数回行っていた。
定員5名の小さな船で、海保3名が乗り込み混乱を招いたことにより、船体は大きく左右に揺れ、あわや転覆という状況にまで傾き、乗船していた女性が海に投げ出された。
女性はほどなく海保によってGBに引き上げられたが、ぶるーの船は船体が大きく傾いたことで浸水が激しく、エンジンもかからない状態に。
乗組員が沈没の危機にあることを仲間に無線で伝えたことで、海保も事態の深刻さを把握したのか、沈没回避のためにぶるーの船からGBへ戻った。
浸水した水をぶるーの船に有った箱メガネでかきだした。
海保も一緒になって柄杓で水をかきだすことにより沈没することはどうにか避けられた。
船体をぶつけて制止させる行為、暴言などももちろん大きな問題だ。
しかし、最も重大な過失は定員5名の船に3名の海保が一斉に乗り込み海賊を制圧するかのごとく操船権を奪おうとしたことだ。
ぶるーの船はGB2艇に挟まれて自由に進めない、既にほとんど停止している状態にあり、左に旋回させられたことによって台船は右舷の後方に通り過ぎた後だった。
小さな船を転覆の危機にまで陥れるようなリスクを冒してまで、一斉に3名が乗り込み操船権を奪う必要は全く無かったのだ。
後で聞いた話では他の抗議船でも同様に、海保が乗り込み操船権を奪うということが行われたようだ。
恐らくそれは海保の中で事前に打ち合わせされた手順だったのだろう。
しかし、前述の通りぶるーの船に関してはそこまでやる必要は全く無かった。
現場の状況判断をせずに、思考停止して臨機応変な対応をせず、ただただ指示された通りに動く。
このような海保の対応が今までも幾度となく危険な状況を生み出し、何人もの怪我人を出したし、抗議船を壊すような事故も度々引き起こしてきた。
最も忘れてはならないのは2015年4/28に海保が定員を超えて乗り込むことによって引き起こされた小型の抗議船“ラブ子”の転覆事故だ。
この事故は本当に一歩間違えば死者が出てもおかしくなかったという深刻なものだった。
今回の転覆未遂事件を見る限り、ラブ子転覆事故の教訓は海上保安庁の中で全く活かされていないとしか思えない。
起こってしまった事故を真摯にとらえ、自省を込めて検証し、二度と同じような事態を招かないように対策を講じて引き継いでいかなければ、いつかは死者がでるような事故が起こってしまう。
それは私たちにとっても、海保にとっても望まない出来事であるはずだ。
自らの非を認めず、「正当な行為」だと強弁し、何事もなかったとうやむやにしてしまうことで、同じような事故は繰り返される。
それは次々と繰り返される米軍の事件、事故を見て、もう十分に分かっているはずだ。
改善されることを願ってやまない。
一旦浜に戻った後には、カヌーに乗り換え、先日亡くなった抗議船船長への追悼式を海上で行った。
一見すると強面で、憎まれ口にも聞こえるような冗談ばかり言っている人だったが、つきあってみれば面倒見のいい優しい人だった。
次々と不当逮捕が続く現場を救援活動を通して陰で支え奔走する仕事も、あの人でなくてはなし得なかったに違いない。
そして、苦しい闘病を続けながら最後まで現場に立とうとしたことで、強い思いを僕らに示してくれた。
カヌーの仲間が作ってくれた似顔絵入りのバナーを見たら、抑えていた悲しみがこみあげた。
牧師でもある船長からお祈りが捧げられた後に、カヌーや抗議船に乗った全ての人が別れの花を彼が守りぬいた辺野古の海に手向けた。
本当お世話になりました。
ありがとうございます。
どうぞ安らかに。
この世からいなくなっていい人なんていない
辺野古 12/15
(シアター前 N5護岸)
海上保安庁のGBの数が多く、ほとんど隙は無い。
カヌーで動き回って、小さなチャンスを見つけたら迷わず行動する勇気と決断力が必要だ。
(必ずチャンスは見つかる)
本当にカヌーの仲間は頼もしい。
大きなオイルフェンスの上でカヌーをキープしてタイミングを待つ方法を、それぞれのやり方で次々に会得している。
チームの連携を意識し、自分の役割を見つけて積極的に動いてくれるメンバーも。
本当にこの違法な基地建設をやめさせたいという、強い気持ちを感じる。
カヌーを早く漕ぐ技術や、屈強な身体よりも、やはり一番肝心なのは強い気持ちなのだと思う。
普天間の小学校に米側ヘリが窓を落下させた事故が起きたばかりなのに、海上行動を行うカヌーの頭の上では米軍ヘリが旋回を繰り返している。
僕の命が軽んじられているのか?
米軍基地建設に抗う者の命が軽んじられているのか?
沖縄に住む人たちの命が軽んじられているのか?
日本人の命が軽んじられているのか?
米国民以外の命が軽んじられているのか?
それぞれの立場で色々な受け取り方があるだろう。
でも、どの命も重みは同じだ。
こっから向こうの人の命は大事にしなくてもいいなんて、そんな線引きはしてはいけないんだ。
命を軽んじる社会を終わらせたい。
この世のあらゆる戦争と差別を無くしたい。
自分の命と他者の命を同等に扱う、どこにも線は引かない生き方がしたい。
死ぬほど退屈な時間も
かけがえの無い濃密で愛しい瞬間も
同じ永遠の一部で
どれも特別な意味は無いし
すべては繋がりあっていて意味が有る
誰も神様にはなれないし
この世からいなくなっていい人なんていない
(GBに拘束されて、松田ぬ浜へ戻される途中に米兵が乗ったゴムボートと交錯した。
辺野古の基地建設工事は、私たち市民の生活や人権より優先されている。
そして、その基地建設工事より更に優先されるのが米軍の活動だ。
海保のGBは米兵のボートの邪魔にならないように、遠慮しながら迂回するコースを通った。)
一人の人間として
辺野古 12/12
仕事や悪天候でしばらくカヌーに乗れてなかったが、ようやく海に出られた。
話には聞いていたけど、大型オイルフェンスの囲い込みは想像していた以上に拡張されていて、囲いの中を海保のゴムボートが自在に走り回っていた。
(通称シュワブ岩もオイルフェンスの囲いの内側に取り込まれてしまった)
(被覆ブロックの設置作業 ドクロ前)
目の前で被覆ブロックや根固め袋材の設置がどんどん進んでいくのに、ますますそこへ近づくことは難しくなった。
それでも何度も何度もオイルフェンスを越えていく。
(ドクロ前 K1護岸)
すぐに海保のゴムボートがやって来て、飛び込んだ海猿にカヌーをおさえられる。
カヌーから海に飛び込んで先を目指すが、何メートルも泳がないうちに捕まる。
沖縄とはいえ、水に入ると身体が震えるほどに冷たい。
全身ウェットスーツで完全装備した海猿でも、一日に何度も海に入ることは苦痛なのだろう。
嫌気がさして、暴力的になっている者もいるようだ。
しかし、海保にそんな辛い仕事を強いているのはカヌーメンバーではない。
冷たい海の水よりも、良心を押し殺し、ただただ命令に従い、誰からも感謝されないことが本当は苦痛なのだ。
正義のカケラも無く、欺瞞に満ちて、矛盾だらけで、戦争という人殺しの片棒を担ぐ、そんな仕事を彼らに強いているのは、日米両政府だ。
「寒いね。冷たい思いさせて悪いね」
拘束された後にはできるだけそういう言葉をかけるようにしている。
そんな時には一人の人間として、素の顔をチラリと見せてくれる人もいる。
(工事用資材や重機を運ぶための赤白鉄塔前の仮設道路は、両端でクレーン車が作業をするようになった。東西にそれぞれ道を伸ばし、ドクロ前のK1護岸と、シアター前のN5中仕切り護岸をつなぐ)
状況は厳しくなる一方だ。
明るい見通しなんてほとんど無い。
だけど僕たちは諦めずに何度でもオイルフェンスを越えていく。
何故なら僕は、オイルフェンスの向こう側にいる海保や作業員に人の心が残っていることを信じている。
抗い続けることで、世界中の人々の心を動かす事が必ずできると信じている。
僕はまだ人間を諦めてはいない。
(シュワブの浜では米軍の水陸両用車が我が物顔で演習を続けている)