一人の人間として
辺野古 12/12
仕事や悪天候でしばらくカヌーに乗れてなかったが、ようやく海に出られた。
話には聞いていたけど、大型オイルフェンスの囲い込みは想像していた以上に拡張されていて、囲いの中を海保のゴムボートが自在に走り回っていた。
(通称シュワブ岩もオイルフェンスの囲いの内側に取り込まれてしまった)
(被覆ブロックの設置作業 ドクロ前)
目の前で被覆ブロックや根固め袋材の設置がどんどん進んでいくのに、ますますそこへ近づくことは難しくなった。
それでも何度も何度もオイルフェンスを越えていく。
(ドクロ前 K1護岸)
すぐに海保のゴムボートがやって来て、飛び込んだ海猿にカヌーをおさえられる。
カヌーから海に飛び込んで先を目指すが、何メートルも泳がないうちに捕まる。
沖縄とはいえ、水に入ると身体が震えるほどに冷たい。
全身ウェットスーツで完全装備した海猿でも、一日に何度も海に入ることは苦痛なのだろう。
嫌気がさして、暴力的になっている者もいるようだ。
しかし、海保にそんな辛い仕事を強いているのはカヌーメンバーではない。
冷たい海の水よりも、良心を押し殺し、ただただ命令に従い、誰からも感謝されないことが本当は苦痛なのだ。
正義のカケラも無く、欺瞞に満ちて、矛盾だらけで、戦争という人殺しの片棒を担ぐ、そんな仕事を彼らに強いているのは、日米両政府だ。
「寒いね。冷たい思いさせて悪いね」
拘束された後にはできるだけそういう言葉をかけるようにしている。
そんな時には一人の人間として、素の顔をチラリと見せてくれる人もいる。
(工事用資材や重機を運ぶための赤白鉄塔前の仮設道路は、両端でクレーン車が作業をするようになった。東西にそれぞれ道を伸ばし、ドクロ前のK1護岸と、シアター前のN5中仕切り護岸をつなぐ)
状況は厳しくなる一方だ。
明るい見通しなんてほとんど無い。
だけど僕たちは諦めずに何度でもオイルフェンスを越えていく。
何故なら僕は、オイルフェンスの向こう側にいる海保や作業員に人の心が残っていることを信じている。
抗い続けることで、世界中の人々の心を動かす事が必ずできると信じている。
僕はまだ人間を諦めてはいない。
(シュワブの浜では米軍の水陸両用車が我が物顔で演習を続けている)
ガルシアの風
辺野古 11/27
カヌーで容易に越えることが難しいオイルフェンスが3重に張られ、中では海保の高速ゴムボートと、フィンを履いた屈強な海猿が目を光らせ待ち構えている。
県知事の作業中止指示を無視する違法な工事がどんどん進んでいく。
海上行動は監視しているだけだと言う人がいるそうだが、ひとたび壊されれば取り返しのつかない環境破壊が進行していくのを目の前でただ見て、捨て石の転がるゴロゴロという不快な音をただ聞いているだけで、呆然としていることに耐えられる人はそうはいるとは思えない。
カヌーチームがそれでも毎日海へ出ていけるのは、どうやればこの違法工事を止められるか模索し、数少ないチャンスを探してトライするという目的があるからだ。
どうすれば止められるのか?
どんな言葉で語れば海保や作業員の心に届くのか?
どうかこれらの写真や動画を、そういった気持ちで見てもらいたい。
そして、あなたなりのアイディアや言葉を携えて、一緒に海へ出て欲しい。
具体的に行動することなくしては、たったの1秒も止められない。
行動すれば未来は変えられる。
僕らはみんな自由の服に着替えて
冷たい川の水に足を投げだす
やがて漆黒の夜が訪れたら
僕らは 盗まれた星たちを取り返しに行く
ああ どうにもならぬことなど 何もなかったのです
ああ どうしようもないことなど 何ひとつなかったのです
ああ どうにもならぬことなど 何もないのさ
ああ どうしようもないことなど 何ひとつないのさ
君へ
手を伸ばしても 届かない
見えない場所に 隠されて
鉄の格子や 高いフェンスで
どんなに 別け隔てられても
国境や 階級や 貧富や 思想や
様々な壁で 分けられて
互いの胸の内を 言葉で
分かりあうことが できなくても
季節が過ぎ 歳月が重なり
命が尽き 身体は朽ち果て
同じ時間を 生きられなくて
巡り会うことが 決してなくても
ぼくらは 同じティダを見ている
自然に寄り添い 歩いていけば 約束の場所に出られる
同じように 笑い 同じように 泣いて
同じように 唄ったり 踊ったり 抱きあったりするのだから
君の気持ちになってみることができる
だから大丈夫
何も怖がることはない
いつでも 君の声が聞こえる 顔が見える
ずっと側にいる
何者もぼくらを 引き離すことはできないんだ