個性豊かで魅力的な仲間たち
辺野古 10/20
台風21号が接近していて、海は荒れ始めていた。
基地建設の作業は台風通過まで中断されていて、カヌーと船団の海上行動も中止が前日から決まっていたが、10/25の海上座り込みに向けてカヌー教室でカヌーを覚えて行動に加わりたいと、県外から来られた方がいる。
朝、松田ぬ浜の様子を見に行くと波打ち際の波も腰近くまであった。
波にカヌーが翻弄されて、初心者がカヌーに乗り込むのは少し難しい状況だ。
辺野古浜のテント前へ行ってみると波の様子は比較的穏やかだった。
他のインストラクターと相談して、テント前の海でカヌー教室を開くことに決めた。
生徒さんは前日に続いての参加で、2日目の教室。
インストラクターは3人だ。
カヌーの基本操作は出来るものの、まだ漕ぎ方がぎこちない。
どうしても初心者はパドルを引くように漕いでしまうが、引く方とは逆の手でパドルを押し出すように漕ぐ方がずっと楽に漕げるのだ。
これは言葉で聞いてそれを理解はしても、それを動作にするのはなかなか難しい。
前へ押し出す方の手を意識してしっかり伸ばす。
これを何度も繰り返して身体に動作を覚えさせなければならない。
つまり、上手くなるにはたくさん乗ってたくさん漕ぐしかない。
今回の生徒さんは飲み込みが良い方で、インストラクターのアドバイスですぐにフォームも様になってきた。
転覆からの復帰練習も、カヌーをロープで繋ぐ牽引練習もスムーズにマスターされていた。
後は長い距離を漕ぐ力を身につければカヌー教室は卒業だが、今回は残念ながら海の状況が悪いので遠くまで漕いではいけない。
台風あけにカヌー教室が出来ればいいんだが…。
午前中で教室を終えて片付けをしていると、ゲート前に行っていたカヌーメンバーから電話がかかってきた。
たまたまゲート前で会った人が、同じように10/25に向けてカヌーを覚えようと県外から来られたのだが、台風の影響でカヌー教室は中止になったという誤った情報を聞いて諦めていたとのこと。
この後、午後から臨時カヌー教室を開けないだろうか?との問い合わせだった。
せっかく県外から来てくれた方に、出来るだけ対応したい。
もう一人インストラクターが残ってくれることになり、午後からも臨時でカヌー教室を開いた。
こちらの生徒さんは全くの初心者。
カヌーやパドルの取り扱い方だけではなく、カヌーチームの行動が非暴力の行動であること、バディや班といった仲間との連携がとても重要であることなどもしっかり学んで頂く。
午後は次第に波と風が強くなり、初日の練習としては難易度が高かった。
それでも、カヌーの基本操作は一通り覚えてもらうことが出来た。
次に波の穏やかな日に乗れば、もっと上手にカヌーをコントロール出来るだろう。
ちょうど3年前の10/21に僕も全くの初心者としてカヌー教室に入ってカヌーを教わった。
カヌーメンバーの中にもカヌー経験が無くて、辺野古に来て初めてカヌーに乗ったという人も多い。
カヌー自体はそれほど難しい乗り物ではない。
小柄な女性や、高齢の方も、みんな一緒に行動している。
辺野古ぶるーとして活動していくのに肝心なのは、この海と自由を守りたいという強い気持ちと、仲間と安全に一日一日の行動を続けていきたいという意識なのだ。
関心のある人は是非、時間をやりくりしてカヌーチームに参加してもらいたい。
カヌーメンバーには本当に個性豊かで魅力的な仲間がたくさんいる。
今も、一人のメンバーの手によってカヌーを運ぶ軽トラックが、絵本の1ページのように彩られようとしている。
どのような車に生まれ変わるのか、とても楽しみだ。
帰り道、瀬嵩のお山から大浦湾の様子を見てきた。
作業台船は全て姿を消していたが、海に浮かぶフロートはかなりの数がそのまま残されていた。
特に瀬嵩の方はほとんどそのまま、汚濁防止膜も撤去されずに残っていた。
汀間漁港沖のフロートは波に煽られ大蛇のようにうねっている。
台風の波風で3年前のようにまたフロートが流されるのではないかと不安だ。
それは決して環境にとって良いことにはならないし、沖縄防衛局はまともにその責任を取ろうとしないだろうから。
3年前にフロートを支えきれずに流出して行方不明になったとされた、鉄板を重ねたアンカーは今も赤白鉄塔前などに放置されたままだ。
沖縄防衛局にとっては、どうせ埋め立ててしまう場所だから環境に配慮するつもりなど、カケラも無いのだろう。
歩みを止めずに前へ
辺野古 10/16,10/17
台風21号が沖縄へ近づいてくるようだ。
16日にカヌーで久しぶりに海へ出たら、ドクロ前、赤白鉄塔前、シアター前の三ヶ所の工事ポイントでは全てフロートやオイルフェンスなどの撤去作業が行なわれていた。
接近する台風に備えるためだ。
(N5護岸のスタート地点となる浜に新たに設置された階段)
予報によると、台風21号が最も接近するのは21日から22日にかけてになるようだ。
台風通過後も波風の影響は少し残るから、フロートの再設置をしてから作業が再開されるのは来週後半になるのではないだろうか。
兎にも角にも、作業が滞って日程が遅れていくのは喜ばしいことだ。
埋め立てで殺されていく命にそれだけの時間の猶予が与えられたことになるのだから。
長島の上から見下ろすと、大浦湾のフロートも大幅に撤去されていて、汚濁防止膜についても撤去作業が行なわれている様子だった。
作業台船も波風の影響が少ない羽地内海などに一時避難する動きが始まっている。
(大浦湾から去っていくクレーン台船)
(長島から見た平島)
作業が止まることの嬉しさと裏腹に、悩ましいのはあと10日を切ってカウントダウンが始まった10/25の海上座り込みについてだ。
当日、台風の影響が天候にどの程度残るのか。
作業が行われるとしてどのような内容のものになるのか。
そもそも県外の人が乗ってくる飛行機は飛ぶのか。
などなど心配しだすとキリが無い。
天候不良で全く海に出られない可能性もある。
せっかく日程をやりくりして集まってくれる皆さんには申し訳ない気持ちもあるが、天候だけはどうにも出来ない。
そこはご理解いただいて、その時に集まってくれた皆さんと一緒に出来る行動を見つけて、有意義な時間を過ごせるようにしたいと思う。
そうなった時には、皆さん知恵を貸して下さい!
17日も海に出たが、シアター前までたどり着く前に雨が降り出し、途中で引き返した。
天候は悪くなる見通しだったので、カヌー練習の数人を残して、この日は行動を終了した。
空いた時間で10/25に向けてカヌーの点検と整備を行なった。
『辺野古へカヌーを贈る会』の皆さんから贈って頂いた3艇の新しいカヌーも名前が決まり、船体に名前が書き込まれた。
不思議なもので、カヌーに名前がつくとそれまで以上に愛着が湧いてくる。
今後一緒に多くの波を越えて、フロートも越えて、現場へと僕らを運んでくれる大事な仲間だ。
感謝して、大切に使わせてもらいたい。
ところで、ちょうど3年前の2014年10月17日は僕が初めて沖縄にやってきた日だ。
そこからの一ヶ月の滞在で、未知だった沖縄の文化に触れ、尊敬すべき多くの人々と出会い、カヌーを覚え、心から信頼出来る仲間が出来て、やがて沖縄に移り住んで今の毎日がある。
それまで見たことのなかったような海、森、星空、そして米軍基地。
毎日が学ぶことで溢れている。
もう3年だし、まだ3年だ。
感覚的にはもっと長い時間が流れたような気がしているが、それだけ濃密な時間を過ごしたということだろう。
分かったつもりにならないように、謙虚に知ろうとする事を止めないように。
諦めずに相手に届く方法を探して、伝え続けよう。
世の中の状況はますます厳しくなっているが、僕は3年前よりも、去年の今日よりも、確実に “Love & Peace” に近づいた日々の中にいる。
僕たちは歩みを止めずに前へ進んでいるから。
愛しい人々と共に
笑顔をかわしながら
このまま続けていこう。
On My Way To See You
辺野古 10/6
三箇所で並行して作業が進められている。
ドクロ前は仮設道路がほぼ完成したようだ。近いうちにK1護岸工事が始まるだろう。
(仮設道路の先端部に続いてK1護岸工事はこの前方部分から海へと伸びてくると思われる)
長く作業を中断していた赤白鉄塔前は、袋小路になっていたガードレールの先端部を外して、道路を伸ばしていく作業が再開される。
シアター前は仮設道路工事を行っていた業者とは別の業者が根固め袋材の設置を始めている。これは仮設道路の作業はおわり、中仕切り護岸N5の工事が始まったことを意味するに違いない。
カヌーチームは少ない人数で3つのポイントに対応しなければならない。
だから、もう手も足も出ないかというとそうではない。
ポイントが多くなったことで、警備の対応にも隙が出来ることがある。
少ないチャンスを逃さなければ工事を少しでも遅らせることは可能だ。
今日も袋材のすぐ近くまで数名が到達し、何分かクレーンの作業をストップさせる事が出来た。
粘り強く監視して状況を見極め、チャンスを見つけたら大胆に行動する。
周りの仲間との阿吽の呼吸によるチームワークも重要だ。
短い時間の積み重ねが大きな結果を導くと信じて続けていこう。
明日の早朝のフライトでしばらく僕は東京へ行く。
前から計画していたことなので、護岸工事の始まるタイミングと重なってしまったが、気分を切り替えて旅を楽しんできたい。
またリフレッシュして、新たな気持ちで戻ってくるつもりだ。
今夜は那覇のドミトリーでこんな曲を聴きながら早めに眠ってしまおう。
続けていこう
辺野古 9/28
カヌーと船団による海上行動チームの奮闘によって、25日から三日間連続で仮設道路造成作業が一時的に止まるような状況を作れている。
その反動で28日は海保の警備が非常に厳しかった。
カヌーの参加は10艇。作業を止められる可能性が有るシアター前に全艇を集めるが、フロートの囲いの中では最大で6艇の海保GBが警備にあたった。
ほとんどのメンバーがフロートを越えてすぐに拘束されてしまうなか、隙をついて数名は仮設道路まで近づけた。
今はとにかくその日その日に集まったメンバーで、思いつく限りの方法を試してみるしかない。
続けていこう!
(ドクロ前)
(ドクロ前)
(米軍の水陸用車による訓練)
(海亀の産卵する浜を走り回って訓練する米軍のバギー車)
(シアター前)
(シアター前)
(シアター前)
(テントの屋根でくつろいでる茶ぁこ)
同じ思いを持って
辺野古 9/25
ドクロ前とシアター前の二手に分かれて行動。
ドクロ前から東へ伸びる仮設道路は、埋立地の西端にあたるK1護岸への資材や重機が行き来する生命線。
(ドクロ前の仮設道路)
(並んだコンクリートブロックの最先端あたりからK1護岸が始まるのではないかとも言われている)
そして、シアター前から西へ伸びる仮設道路は、埋立区域を分割する中仕切り護岸N5への生命線。
(シアター前の仮設道路)
(仮設道路を囲む黄色い小型フロートの位置が更に西へと移動させられた。中仕切り護岸N5のスタート地点と言われる茶色の八角堂は目前に迫った)
この2つの護岸工事を国は来月にも始めると公言している。また海への捨て石の投入が再開されるのだ。
ふたつの仮設道路は着々と工事が進み、それぞれの護岸が海へと伸ばされていくスタート地点となる浜へ程なく到達するところまできている。
今日はカヌーメンバーの一人が海保の警備をすり抜け、仮設道路への砕石投下ポイント近くまで到達し、ダンプが砕石を下ろせずに一旦引き返した。
作業は20分程止まった。
僕はこの20分は偉大な成果だと思う。
様々な意見が有る。
まだ仮設道路工事の段階で、そこまでのリスクを冒す必要が有るのか?という声も有った。
しかし、仮設道路完成は目の前だ。
それを野放しにしておいて、いざ護岸工事が始まった時に、確実に工事を止める秘策が有るのかと言えば無いのだ。
だから、僕は今出来ることを精一杯やりたいと思っている。
知恵を絞り、勇気を持って、次の行動を決めていきたい。
権力による横暴な基地建設を止めたいという、同じ思いを持って集まった仲間ならば、きっとそれは出来るはずだ。
行動を前へと進めよう!
(ドクロ前の仮設道路奥に作られた生コンプラントへと続く道を3台のダンプが走って行き、数分後に引き返していった。その時間の長さから生コンプラントで資材を下ろした可能性が高い。生コンプラントの稼働もそう遠くはないに違いない)
(前日の日曜日、カヌーの行動が休みの日を選んで、赤白鉄塔前にもフロート類が再設置された。作業は全く行われていないが、海保が配置され警戒をしている)